皆さんも自分の好きな映画やドラマの世界に入り込んで主人公の気分を追体験したいと思ったことはありませんか?
好きな映画の舞台やロケ地を巡ってそうした気分を味わうことは個人旅行でしかなかなかできません。
これまでも旅行を計画するときのメインテーマの一つとしてきました。そうした中でも特に印象に残った場所をエリア別に紹介する7回目です。

今回はアジア、アフリカ、オセアニア、中米といった欧米以外での体験を紹介します。これらの地方もその特色をいかした名作映画の舞台となっています。

北京 ~ 映画「ラストエンペラー」
最初は1987年に公開された”清朝最後の皇帝溥儀の人生の軌跡を壮大なスケールで描いた歴史大作映画「ラストエンペラー」”の舞台となった中国の北京です。(2012年訪問)
映画の前半は幼くして即位した溥儀が暮らした故宮(紫禁城)で撮影されました。因みに中国以外の映画で故宮での撮影が許されたのはこの時が最初だそうです。


かつて「紫禁城」と呼ばれた皇帝が生活、政務を行うエリアに入っていきます。オープニングで幼い溥儀が輿に乗って入ったのが宮殿の南側にある内部への入口「午門」です。







即位の式典で幼い溥儀がこの玉座にかわいらしく座ったり立ったりする姿が印象的です。また、ラスト近くで平民となった溥儀がこの玉座を観光で訪れるというシーンも彼の波乱の生涯を象徴しているシーンでした。




とにかく広大な敷地に様々な建物が配置され、映画の設定の100年程前までは世界最大の帝国であった清王朝の繁栄ぶりが偲ばれます。
清王朝滅亡後一時天津で過ごした後、日本の関東軍の導きにより(日本の傀儡国家と言われる)満州国の皇帝になります。


日本の敗戦と同時に満州国は滅亡し、溥儀は中国共産党による収容所での思想改造により平民として余生を送ります。

映画には登場しませんが、溥儀の生まれた愛新覚羅家のルーツは中国東北部の瀋陽(満州国では奉天)にあります。




溥儀の生涯をドラマチックに描くうえで、実際に故宮で撮影できたことは大きな効果があったと思います。一方で彼を利用した日本や関東軍の動きについては第2次世界大戦での敗戦という悲惨な結末につながるきっかけにもなっており、世界に対する日本の向き合い方を冷静に考える重要性を認識させられました。
<映画情報>
ラストエンペラー(原題:THE LAST EMPEROR) 1987年
監督 ベルナルド・ベルトルッチ
出演 ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、坂本龍一
万里の長城 ~ 映画「ベスト・キッド」
次は2010年に公開された”少年が日系人師匠と出会い空手の修行を通じて心身共に強く成長していく姿を描いたオリジナル作品をアメリカ西海岸から中国北京に設定を移してリメイクした映画「ベスト・キッド」”の舞台となった中国の万里の長城です。(2005、12年訪問)
アメリカから北京に移り住んでいじめに遭っていたが主人公ドレが、カンフーの達人であった管理人のハンと出会いカンフーの猛特訓を受けます。その修行の場所に使われたのが世界遺産「万里の長城」です。






この雄大な風景の中でのカンフー修行シーンはやはり迫力満点です。また人気観光地でもあるので、平日でもたくさんの観光客が訪れていました。
映画では他にも北京の有名スポットが登場します。






オリジナル作品の沖縄空手の師匠に鍛えられて少年が成長していく物語もよかったですが、ジャッキー・チェンを師匠役に迎えてカンフーに切り替えた設定も中国の壮大な風景とよく合っていたと思います。
ベスト・キッド(原題:THE KARATE KID) 2010年
監督 ハラルド・ズワルト
出演 ジェイデン・スミス、ジャッキー・チェン
旅順 ~ 映画「二百三高地」
次は1980年に公開された”日露戦争最大の激戦となった二百三高地攻撃を司令官と兵の視点から勝ち負けではない戦争の本質を描いた映画「二百三高地」”の舞台となった中国の旅順です。(2005年訪問)
映画の戦闘シーンは日本国内で撮影されましたが、実際の二百三高地は軍用地として一般人には開放されていなかったため当時の遺物も残っています。





この忠魂碑は、旅順攻囲戦の司令官であった乃木希典大将が、この地で犠牲となった数多くの日本兵への慰霊のために建立したものです。その中には戦死した彼の息子も含まれています。
両軍合わせて多数の死傷者を出した激戦の末、日本軍は二百三高地を陥落させ設置した大砲により旅順港のロシア東洋艦隊を攻撃し海軍を援護、後の日露戦争勝利につながっていきます。



映画でラストシーンでは字幕で紹介されるだけですが、乃木大将は明治天皇の崩御に殉じて夫人と共に自刃します。(二百三高地での多数の犠牲者を出した責任を感じていたが、明治天皇の存命中は自決を禁じられていたと言われています。)


この殉死により二百三高地の作戦に関する非難の声は消え、日露戦争の英雄である海軍の東郷平八郎元帥とともに神として祀られることになります。

この映画のもう一つの柱は、戦争に動員され無為に命を落としていく庶民の姿です。ロシア文学を愛する金沢の青年教師古賀と彼の部下たちのエピソードも印象的です。



「戦っていても、人間として日ロ友好の気持ちは忘れない」と言っていた古賀が戦場で部下を殺され、最後はロシア憎しで少年兵と殺しあうシーンは戦争の本質を描いていて胸が締め付けられました。
西安 ~ 映画「空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎」
次は2018年に公開された”遣唐使として中国長安を訪れた若き日の空海と詩人・白楽天が真相を追う不可解な連続死亡事件とその50年前の楊貴妃の死の関連を描いた映画「空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎」”の舞台となった中国の西安です。(2004、05年訪問)
映画の撮影は基本的にセットで行われていますが、唐の都長安(現在の西安)で物語が展開します。



長安は8~9世紀の頃は世界最先端の文明都市で、きれいに区画整理された街並みは日本の平城京や平安京のモデルとなっています。この映画に登場する空海や阿倍仲麻呂も最新の文化や学問を吸収するために遣唐使として長安を訪れていました。
主人公の空海は真言密教の開祖として高野山や東寺を作ったことで有名ですが、西安でも足跡を追うことができます。



映画では、空海は白楽天とペアで殺人事件を追って長安の街を駆け巡ります。





物語は50年の時間を遡り楊貴妃の死にまつわる謎につながっていきます。

華清池は楊貴妃のために玄宗皇帝が作った離宮です。

空海の相棒の白楽天は玄宗皇帝と楊貴妃とロマンスと安史の乱での楊貴妃の最期を読んだ「長恨歌」で有名です。

映画では、楊貴妃の死に関わる人物として日本人でありながら唐の高官に上り詰め玄宗皇帝に仕えた阿倍仲麻呂も登場します。


映画のストーリーは史実とは無関係に展開していくミステリーなので、歴史ものとして鑑賞するととまどうかもしれません。しかし、西安周辺を訪ねると日本の古代末期~中世初期の文化に大きな影響を与えていることがくみ取れ、興味が尽きません。
<映画情報>
空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎(原題:妖猫傳) 2018年
監督 チェン・カイコー
出演 染谷将太、ホアン・シュアン、チャン・ロンロン、阿部寛
ケープタウン ~ 映画「インビクタス/負けざる者たち」
次は2010年に公開された”英国諜報部員ジェームズ・ボンドと天才科学者ノオ博士の戦いを描いた「007」シリーズの第1作映画「インビクタス/負けざる者たち」”の舞台となった南アフリカのケープタウンです。(2012年訪問)
映画のオープニングは27年間の投獄から釈放されたネルソン・マンデラがアパルトヘイト(人種隔離政策)崩壊後の最初の選挙で大統領に選ばれるまでを描いています。

ケープタウンの港にはアパルトヘイト撲滅のために活躍した人々が紹介されています。



制度上はアパルトヘイトは撤廃されましたが、選挙でマンデラが大統領になっても白人と有色人種の間のわだかまりが消えたわけでもなく新生南アフリカは多難な門出となったようです。国内の人種間の融和を進めるために利用したのが、スポーツの力でした。
物語は1995年に自国で開催されたラグビー・ワールドカップに初出場した南アフリカチーム(それまでアパルトヘイトに対する制裁で国際試合から排除)が人種融和の象徴として栄光をつかむ姿を描いています。

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一概に融和と言っても、現実には厳しい格差があり、その痕跡は現在でも見られます。


人種間の融和に対して懐疑的だった白人選手たちも、マンデラの過酷な投獄生活の実態を知ることで、それでも寛容であろうとするマンデラに共鳴していきます。



初戦を勝ち取って祝勝会を行う頃には非白人が混ざったチームも応援も一つになっていました。


事実に基づいて製作された作品ですので南アフリカチームが優勝するという結末は分かっているのですが、国をまとめるためにこれまで敵対した人々にも寛容であろうとするマンデラとその期待に応えて奮闘する選手たちの姿には感動します。映画の世界を離れてもケープタウンは魅力的な街でした。


郊外で出てみると自然の風景も楽しめます。



<映画情報>
インビクタス/負けざる者たち(原題:INVICTUS) 2009年
監督 クリント・イーストウッド
出演 モーガン・フリーマン、マット・デイモン
ウルル ~ 映画「世界の中心で、愛をさけぶ」
次は2004年に公開された”高校時代に最愛の恋人を白血病で亡くした主人公が彼女の思い出と向き合い、未来へ踏み出すまでを描いた映画「世界の中心で、愛をさけぶ」”のラストに登場したオーストラリアのウルル(通称:エアーズロック)です。(2004年訪問)
ウルルは白血病にかかったヒロイン亜紀が修学旅行で訪れるのを楽しみにしていた場所で、原住民アボリジニの人たちが「世界の中心」と捉えていた場所です。


2004年当時は周辺を散策するだけでなく、登山も可能でした。(2019年にアボリジニ文化に敬意を払うということで全面禁止に)



映画では大人になった朔太郎が亜紀の遺骨を撒きにウルルへ来る場面がありますが、実際のロケは近郊の別の場所で行われたようです。
映画のストーリーは主人公朔太郎と亜紀の故郷である四国の最北端の街「庵治町」を舞台に展開していきます。







映画は白血病という薄幸の美少女の悲恋物語で過去にもあったような設定ですが、公開当時大ヒットし「セカチューブーム」を巻き起こしました。映画の世界を離れてもウルルは圧倒的な存在感を示しており、訪れることで貴重な体験ができると思います。
オーストラリアにはウルル以外にも見所がたくさんあります。


そしてオーストラリアと言えば「コアラ」です

オーチョ・リオス ~ 映画「007/ドクター・ノオ」
最後は1962年に公開された”英国諜報部員ジェームズ・ボンドと天才科学者ノオ博士の戦いを描いた「007」シリーズの第1作映画「007/ドクター・ノオ」”の舞台となったジャマイカのオーチョ・リオスです。(1996年訪問)
ジャマイカの北海岸にあるオーチョ・リオスは美しい海岸と温暖な気候から別荘やリゾートホテルがたくさんあります。「007」シリーズの原作者イアン・フレミングもこの地に別荘を持っていたそうです。


映画のハイライトシーンはボンドが初代ボンド・ガールのハニーと敵の秘密要塞から脱出する場面で、撮影は「ダンズ・リバー・フォール」で行われました。





映画でボンドとハニーが手をつないで滝を登っていったのと同じ体験が滝登りツアーではできます。映画のシーンを想像しながら登るのも一興です。
その他、オーチョ・リオスの街やホテルが撮影場所となっています。




映画のストーリーとは関係ありませんが、ジャマイカは高級コーヒー豆の産地です。


映画は60年前の作品なので現在の「007」作品と比べると設定やマシンの旧さは否めませんが、ジェームズ・ボンドの格好良さは当時の方が際立っていると感じます。それにジャマイカの変わらない風景やのんびりした雰囲気がよくマッチしていると思います。是非訪れて雰囲気に触れてみて下さい。
<映画情報>
007/ドクター・ノオ(原題:DR. NO) 1962年
監督 テレンス・ヤング
出演 ショーン・コネリー、ウルスラ・アンドレス、ジョセフ・ワイズマン
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