皆さんも自分の好きな映画やドラマの世界に入り込んで主人公の気分を追体験したいと思ったことはありませんか?
好きな映画の舞台やロケ地を巡ってそうした気分を味わうことは個人旅行でしかなかなかできません。
これまでも旅行を計画するときのメインテーマの一つとしてきました。そうした中でも特に印象に残った場所をエリア別に紹介する12回目です。

今回は中国地方や四国地方が舞台となった映画やドラマに焦点をあてます。

山口 ~ 映画「出口のない海」
最初は2006年に公開された”太平洋戦争末期に人間魚雷「回天」に乗り込むことになった大学野球の投手の生き様を通して戦争の悲惨さを描いた映画「出口のない海」”のラストシーンの舞台となった大津島です。
大津島は徳山港の沖合に浮かぶ人口200人ほどの小さな島です。戦時中にこの場所に人間魚雷「回天」の訓練施設が作られました


訓練施設の跡には「回天」にまつわる資料を展示した回天記念館が設置されています。






必ず死ぬと分かっていて敵に突撃する心境は想像もつかないですが、家族や親しい人たちを守るために自らを奮い立たせている遺書などを見るとその純粋さに胸を打たれるとともに、その純粋さを利用して無謀な作戦を立案・実行した人たちに怒りを覚えます。
発射訓練基地は徳山とは反対側の海岸に人目につかないように設置されており、トンネルを掘って回天を整備工場から基地まで運搬していました。



トンネルを抜けたところに「回天」の発射場があります。映画の中でも訓練中に志半ばで命を落とす若者たちが描かれていました。





映画では戦闘場面はほとんど描かれず、隊員たちの葛藤を抱える姿に焦点が当てられます。大津島を訪れてみると、こうした無謀な作戦の訓練がこんな穏やかな風景に囲まれた島で行われていたという事実が実感でき、戦争の無意味さ・残酷さが胸に迫ってきます。
岡山 ~ 映画「八つ墓村」
次は1977年に公開された”戦国時代の落ち武者惨殺の伝説が残る村に戻った青年が連続殺人事件に巻き込まれていく姿を描いたミステリー映画「八つ墓村」”の舞台となった岡山県各地です。
原作者の横溝正史は岡山県に疎開中に実際にあった殺人事件をヒントに物語を綴ったようです。


映画のオープニングは毛利氏との戦に敗れた尼子氏の残党が落ち延びて八つ墓村へたどり着くシーンです。




物語は現在に移り、東京に暮らす主人公寺田辰弥が自身の数奇な過去を知らされ、母の故郷である八つ墓村の多治見家を訪れます。



八つ墓村に到着した辰弥の前に現れたのが、「たたりじゃ~」のセリフで有名な濃茶の尼です。



戦国時代~現代の出来事が描かれていきますが、岡山県北部の山里の風景が昔も今もそんなに変わらずに「祟り」や「怨念」といった情念の世界を表現するのにぴったりな雰囲気を出しています。
作品の重要な舞台のとなるのが鍾乳洞で岡山県内の他に他県の有名な鍾乳洞も使用されたようです。
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金田一耕助が事件の背景調査のために関西地方を巡る場面に登場するのが京都や滋賀です。



公開当時は横溝正史ブームの真っ最中でした。映画も東宝の映像美を追求したスタイリッシュな作風と比較して、松竹の本作は日本の風土のどろどろしたオカルト的な雰囲気を漂わせた作風となっています。そうした映画の魅力がこのエリアを訪れるとより鮮明になると思います。
岡山 ~ 映画「本陣殺人事件」
次は1975年に公開された”こちらも横溝正史原作の地方の由緒正しい旧家で行った“密室殺人”を描いたミステリー映画「本陣殺人事件」”の舞台となった真備町です。
事件の舞台になったのは、倉敷市真備町の横溝正史が戦時中に疎開していたエリアです。またこの作品で名探偵「金田一耕助」はデビューしました。



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周辺は「金田一耕助の小径」として整備され、作品に関わるスポットを迷わずに巡ることが出来ます。
横溝正史が本作品を疎開中に暮らした家は当時のまま残されており、暮らしぶりや作品誕生のエピソード等が展示されています。



疎開宅の暮らしぶりやどのように作品の構想を得たかがイラストで展示されています。



周辺には他の横溝正史作品に関連したスポットもあります。





この映画は東宝や松竹といったメジャーと一線を画したATG製作で撮られており、公開も地味なものでしたが原作の雰囲気がよく出ていました。舞台となった場所を巡ってみるとさらに感慨深く作品を鑑賞できると思います。
広島 ~ 映画「時をかける少女」
次は1983年に公開された”大林宣彦監督の尾道三部作の一つで、ラベンダーの香りがきっかけで時間を移動するという不思議な体験をするヒロインの淡い恋の行方と心の成長を描く映画「時をかける少女」”の舞台となった竹原、尾道です。
主人公の和子が日常を過ごしているのが竹原市は町並み保存地区です。






映画では高校生たちの通退学路として使用されましたが、SF的な内容と歴史的な風景がうまくマッチしていたと思います。
和子がタイムスリップして訪れた場所が尾道の「艮神社」です。




尾道の趣のある風景は「さびしんぼう」、「転校生」といった他の尾道三部作でも重要な役割を果たしています。






大林作品独特の実験的な映像がちりばめられた作品ですが、そうした前衛的な表現と尾道・竹原の落ち着いた日本の風景がよく融合して面白い作品です。街を巡りながら映画のシーンを思い浮かべるのは至福の体験だと思います。
広島 ~ 映画「男たちの大和」
次は2005年に公開された”太平洋戦争末期に沖縄方面への特攻作戦に参加し、世界最強最大と謳われながら沈没した戦艦・大和の乗組員の生き様と悲劇を描いた映画「男たちの大和」”の舞台となった呉です。
1944年に乗員たちが大和に乗艦するためにやって来るのが呉です。この町で大和は建造されました。


生き残った乗員の養女真貴子が大和について知るために訪れる施設が「大和ミュージアム」です。





ミュージアムでは展示物に対しての淡々とした説明と事実関係しか記されておらず、戦争賛美や反戦の方向に偏らないように工夫されているようです。その分、見学者自身が自分なりに考える必要があります。
市内には他にも大和に関係するスポットがあります。





映画には呉以外の場所も撮影スポットとして登場します。




呉には現在も海上自衛隊の呉地方隊が置かれ海上防衛の要衝となっています。映画でも自衛隊の艦船が撮影に協力しています。




この映画の主人公は司令官等でなく裏方や新兵達であり、彼らが自分ではどうしようもない運命に飲み込まれていく姿に戦争の愚かさがよく表されていたと思います。現在も防衛の拠点となっている呉の街を訪れると、例え意見の相違があっても解決手段に戦争を用いてはいけないという思いを強くしました。
香川 ~ 映画「二十四の瞳」
次は1954年に公開された”瀬戸内海の島の分校に赴任した新米の女性教師と12人の生徒の交流を軸に戦争に突き進む時代に翻弄される苦難や悲劇を通して戦争の愚かさを描いた日本映画史上不朽の名作映画「二十四の瞳」”の舞台となった小豆島です。
主人公の新米教師大石先生が最初に赴任して自転車で通勤するのが「岬の分教場」です。1987年リメイク作品のロケセットが映画村として残されています。






大石先生は本校に転勤になり、上級生になった生徒たちも本校に通うようになります。



映画村ではオープンセット見学だけでなく作品の常時上映が行われていて、映画の世界に浸ることできます。また海岸から本校のある街を眺めていると、怪我をして自宅静養中の大石先生を見舞うために生徒12人だけで歩いて行くシーンはこの映画のハイライトの一つです
6年生になった生徒たちは高松へ修学旅行に出かけます。生徒の中には家庭の事情で参加できない者もいます。



学校を中退し奉公に出されていたマツエが大石先生と旅行中に再会し、皆が島へ帰っていく船を岸壁から見送るシーンも印象に残ります。

小豆島には映画ロケ地以外にも訪れるべきスポットが多くあります。





戦争の時代を描いた映画ですが、戦闘シーンなどは一切ありません。ただ、無邪気だった児童たちが成長するにつれ時代の荒波に翻弄されていく姿や正直に生きようとした大石先生に対してそれを許さない時代の窮屈さがよく描かれており、戦争の無意味さが胸に迫ってきます。小豆島を訪れてのどかな風景を実際に見ることで、平和を維持することの大切さと有難さがより偲ばれます。
徳島 ~ ドラマ「バルトの楽園」
最後は2006年に公開された”第1次世界大戦で捕虜になったドイツ兵を収容した板東俘虜収容所で起きた実話をもとに、ベートーベンの第九が日本で初めて演奏されるまでを描いた映画「バルトの楽園」”の舞台となった鳴門です。
第一次世界大戦の中国青島で日本軍の捕虜になったドイツ兵たちの一部が徳島の板東俘虜収容所に送還されるところから物語は始まります。





収容所のドイツ兵たちが母国の土木技術を生かし、祖国に無事帰国できることを祈念して神社の境内に
池を掘ったり橋を架けたりしました。




日本にドイツ兵捕虜が収容されていたという事実だけは知っていましたが、具体的にどのような状況に置かれていたのかは映画を観るまでよく知りませんでした。また松江所長が、幕末に賊軍の汚名を着せられて苦難の道を歩んだ会津出身ということで、敗者である捕虜に対してもその心情を察し人道的に対応する姿には感銘を受けました
松江所長の方針で地域住民とも交流を許された捕虜たちはドイツの技術や文化を紹介していきます。


映画のクライマックスが、終戦を迎えドイツに帰国することになった捕虜たちが感謝を込めてベートーヴェンの「第九交響曲」を演奏するシーンです

収容所跡周辺には往時の姿が偲ばれる場所があり、映画のロケ地として採用されています。


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この当時の日本には武士道的な考え方に加えて西洋列強に侮られまいとして騎士道精神も取り入れようとする姿勢があったことが、捕虜に対する人道的な対応がなし得たような気がします。こうした姿勢が貫けられればその後の無謀ともいえる戦争も防げたのかもしれないと思うと、いろいろと考えさせられる映画です。
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