2022年4月の和歌山を巡る5泊6日の旅行記の第3弾です。
旅のテーマは「独特の地形・地質を堪能」「オーベルジュでグルメを満喫」、「アドベンチャーワールドのパンダと対面」、「世界遺産~熊野・高野山エリアでの心の癒やし」です。
今回は旅の最大の目的である「熊野古道を歩いて熊野三山を巡る」についての1回目です。
前日の旅の内容については以下の関連記事を参照ください。
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熊野信仰、熊野詣ってどんなもの?
自然に対する畏敬の念が原点
紀伊半島はその独特の地形に加えて深い山々が連なっており、古来より万物の創造主が宿るところと信じられてきたようです。そのため古代の人びとはこの辺りの自然を敬い、崇めていました。


現代でも圧倒的な自然の風景を
目の前にすると
畏敬の念が湧いてきますよね。
熊野詣ブーム到来~衰退
平安時代中頃より熊野全体を浄土とみなす信仰が広まり、京都の皇族や貴族が来世での極楽浄土往きを願って、熊野にある本宮(ほんぐう)・新宮(しんぐう)・那智(なち)の熊野三山を参詣する「熊野詣」が始まりました。京都から往復約600km、約1ヶ月の旅程で山中の険しい道を進んで参拝道(熊野古道)を辿ったようです。
こうした貴人の参拝をきっかけに熊野は日本国中の人々に知られるようになり、上下貴賤男女を問わず大勢の人々が訪れるようになりました。その様子は「蟻の熊野詣」と、蟻が餌と巣の間を行列を作って行き来する様にたとえられるほどになったそうです。


信仰の力もすごいけど、
今も昔もブームに
なった時の勢いは
すごいものですね。
しかし戦国時代以降は参詣者が減り、熊野三山の経済基盤は揺らいでいきます。
ブーム再来に向けた取り組み
財政危機の中、運営資金を集めるために全国に派遣したのが熊野比丘尼(くまのびくに)という有髪の女性宗教者です。
熊野比丘尼は「熊野勧心十界曼陀羅」などの「熊野の絵」を持ち歩き、その絵の解説をしながら熊野に訪れたり、寄進することのご利益を説きました。実態は旅行会社の営業とツアーガイドを兼ねた役割だったようです。





当時の有名人のエピソードを織り交ぜたり、
参拝前後には俗な楽しみもあると言ったりと
マーケティング手法は現代に通じる
ものがありますね。
熊野那智大社に向かいます
前章の曼荼羅に描かれた熊野那智大社に参拝します。
参道は熊野古道大門坂



大門坂267段を上った後、さらに467段を上りきれれば那智大社拝殿です
那智大社に到着



那智の滝に対する自然崇拝が神話世界とつながり熊野信仰が形作られた様子がよく分かります。

拝殿を抜けると青岸渡寺(西国三十三所巡礼一番札所)





昔の日本人は自然の中にいる神様と外国からきた仏様を区別しないしなやかさで生きてきたのですね。
すべての宗教がこんな風に混ざり合えば無駄な諍いはなくなるのにね。
那智の大滝へ



滝壺までの落差は133メートル(一段の滝としては落差日本1位)は見ごたえ十分です。
補陀洛山寺に向かいます
曼荼羅で平維盛一行が登場する補陀洛山寺(ふだらくさんじ)に向かいます。ここは南の洋上に補陀落浄土を求め死を賭して漕ぎ出す信仰「補陀落渡海」が行われた場所です。



渡海した人の中には潮に流されて沖縄にたどり着き熊野信仰を広めた方もいるそうですが、ほとんどは帰らぬ人となったようです。信仰の強さと怖さを同時に感じた経験でした。

死んだ後に救われるというより
この世で生きている間に
救われるような信仰で
あってほしいものです。
次回は新宮にある熊野速玉大社・神倉神社に訪れた後、川湯温泉に向かいます。
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